喧嘩の末 夫以上の助っ人はいない
今日は、年度末の最終日。
最後の最後に会議があった私は、夜の9時まで帰れませんでした。
そんな我が家で、当たり前のように、夕食のカレーを作るのは夫です。
急な仕事が入ったり、突然子供が発熱したり、私がとても疲れていたり。そんな細かいこと、一緒に住んでいないと分かりません。
散々喧嘩して、どんなに疲れているか泣きながら説明して、何を分担すべきか話し合い、そして失敗し、また泣いて、話し合い、そうやって一緒に裸で乗り越えて来たからこそ、夫ほどの助っ人はいません。
だから、乾いたタオルに皺があっても、裏返しのまま引き出しに入っていても、食事が多少油っこくても、それは、もう良いことにしました。
その代わり、休日は昼まで寝てても、うっかり子供の体温カードのサインを忘れていても、カメラの電池さえ変えられなくても、諦めてくれています。
お互い様だから。
あんまり高い理想を持たれても困る分、私の理想も膨らまないよう頑張ってます。時々思い出して、褒めてあげたら、素直に嬉しそう。
結局、そんな夫婦に、落ち着きました。
仕事で、離婚したいと小さな子供を抱えた女性に沢山出会いました。気持ちがすごく分かる反面、残念でした。
多分、ちょっとした工夫と余裕が、必要なんだと思います。ちょっと頑張りすぎてる、真面目な日本人女性を、見つけたら貴方が助けてあげて欲しいです。
職場復帰直前 長男へ 手作りのアップリケ
育児休暇が終わり、職場復帰する頃、私は心を込めて長男に、通園グッズを作っていました。長男が大好きな、救急車と消防車のアップリケ。フェルトを切ってチクチク手縫いして。
出来上がって長男に渡したら、
「やったぁ。」
と言って、袋を持ってその場でグルグル回って、尻もちをつきました。その可愛らしい姿は、私のまぶたに焼き付いています。
消防車のバッグは、小学校中学年には小さくなって、申し訳なさそうに、他のバッグに切り替えました。だけど、救急車のシューズ入れは6年生まで使ってくれました。
「だって、お母さんの愛情が、たっぷりつまってるんだもん。僕、覚えてるよ。これをお母さんがチクチク作ってくれてたの。だから、出来上がったときは、凄く嬉しかったんだ。」
そんな風に思ってくれていたこと、初めて知りました。あんなに小さかったのに。
頑張って作って、良かった。
癒やされ家族の 末っ子
コロナ渦の卒業式に、長男と仲良しのお友達のママに、やっと会えました。
「いつもありがとうございます。」
「こちらこそ。いつも私、ラインの会話で癒やされてるんですよ。うちの子も、長男くんには癒やされるって。」
「まあ、そうなんですか。今後ともよろしくお願いします。」
癒やされるなんて、血は争えないなと思いました。
というのが、私達夫婦の結婚式、沢山の人から「癒やされた」と言われたのです。
いえ、そもそも結婚式は、癒やすものではない。当然私達は、ごく普通の結婚式をしたつもりなんです。
結婚式でさえ癒やされると、沢山の人から言われるような、夫婦のもとで育てば、それは癒やされ息子も育ちます。
だから。
ここは、運命だと腹を決めて。
家族全員で、心を込めて皆様を、癒して生きていきます。
赤ちゃんに いないいないばあ の絵本
私は、絵本を生後2ヶ月くらいから始めました。何となく、何かを見るようになって、少し反応が出てきて、ママも少し身体が落ち着く頃です。
ママに余裕があって、赤ちゃんがご機嫌の時に、時々適当に読んでいました。
何度か読むと、赤ちゃんはちゃんと絵本を見ようと試みるようになります。そして、少しずつほんの少しずつ、声を出したり、手を動かしたり、反応もしてくれるようになります。(親バカ?)
そのとき、分かりやすく読みやすい、このいないいないばあは便利でした。動きがあるし、単純だし、すぐ終わるし、明るいし。
絵本との出会いは、こんなに早くても大丈夫です。その子なりの楽しみ方があると思うから。
子供を笑わせたいなら へっこきよめさ
このお話し、お上品なお話しじゃないんだけれど、子供には、かなりの確率で笑ってもらえます。そして、私が子供の頃に大好きだったお話しです。
ある村のとある家に、とても気立ての良いお嫁さんがやってきました。ところが、お嫁に来てから日に日に、顔色が悪くなり、元気がなくなります。実は、おならを我慢していたのです。このおなら、とてつもない威力。お姑さんも、おならに吹っ飛ばされます。
怒った夫はお嫁さんを追い出すことに。その帰り道にあり得ない素敵な出来事があって、やっぱり結婚を続けることになったとさ。
そんな、単純で平和なお話に、大きなお尻を向けて、おならが凄い迫力で登場するのです。その表現は、ブ、ブ、ブオーンとかドカーンとか。
いろんな出版社から、様々な絵柄で出版されてるけど、私が好きな写真の絵本は、仕掛けつきです。どうせなら思い切って、と選びました。
だいじょうぶ だいじょうぶ 苦しい時のおまじない
私は、この本にお寺の講演会で出会いました。絵本を題材に、お説教をされる方のお話しで、採用されていた絵本の1つだったのです。
いまは、小学校の一部の教科書でも採用されているようです。
さて、お話しは、小さい頃のぼくがおじいちゃんと近くの街を散歩している場面から始まります。
小さなぼくには、毎日が冒険で、おじいちゃんと共に楽しいことも体験するけど、小さな怖いことや困ったことにも遭遇します。そして、車の危険やめんどうな人間関係、恐ろしいバイキンの存在も知ります。
ぼくが困ったら、その度に、おじいちゃんは手を握って、おまじないのように言います。
「だいじょうぶ だいじょうぶ」
いつかぼくは大きくなり、おじいちゃんは年を取りました。病院のベッドのおじいちゃんの手を握って、今度はぼくが言います。
「だいじょうぶ だいじょうぶ」
この、「だいじょうぶ」とは何でしょうか?
講演会での解釈は、これは仏様にすがる気持ちに近いということでした。私は、この解釈にとても共感しました。
世の中、絶対のだいじょうぶなんて、存在しません。頭の上に飛行機か落ちてくる可能性も、何%かはあります。おじいちゃんだって、病院に入院して、もしかしたらもう最期が近いかもしれません。
だから、だいじょうぶって、言えないのかも知れません。
だけど、いつか人は死なないといけないし、絶対的な安全なんてないし。そうやって、人生には良いことも悪いことも起こります。
だいじょうぶ だいじょうぶ
どんな時でも、何かを信じて、ひたむきに生きて行く姿。そして、苦しい時に前を向くための、コツのようなものを、この絵本は描いてくれているように感じます。
長男のあおはる(青春)
卒業式が終わり、教室や廊下で仲良しだった友達と、沢山の写真を撮影しました。
在校生の教室を通り抜けて、卒業を祝福してもらい、靴を履いて玄関から出てきます。帰るのかなと思っていたら、友達2名で何だか企画を始めました。
「近くの公園に行こう。」
「わかった。誰に声かけたの?」
「まだ、長男だけ。」
「お母さん、近くの公園に行くんだって。」
長男より随分背の高い、家で名前を聞いたことない友達との口約束。しかも、公園って、普通は玄関とか桜のそばで写真撮影するだろうに。。。
そう思いながら、とりあえずカメラを片手に、長男を見失わないよう追いかけます。
公園が近づくと、お友達は走り出しました。気づくと周りには男女混合で、数人の友達が一緒に走っています。いつの間に増えたんだろう?
「お〜い、○○、こっち来いよ〜。」
あ、こうやって増やしたのね。元気な子供達が、周りの知り合いを手当たり次第に、大声で誘っていきます。
「上まで上がろうぜ。」
子供たちは、スルスルと気持ちよく走って登っていきますが、ママには厳しい。ゆったりと登っていると、早速頂上についた子供達が、ママのカメラに向けてピースサイン。
あれ?
周りを見ると、私しか親はいません。
私が撮影しないと、この出来事は残せないじゃないの!
慌てて、自宅用のカメラから、スマホに持ち替えます。
「今とった写真、ラインで送るからね。うまくみんなに渡してね。」
「はぁ〜い」
ポーズをして、並んでいる姿を、見逃さないように撮影します。だけど逆光。
「ちょっと待って。逆光で綺麗に顔が写らないから、上がるから待っててね。」
きつい坂道を、不思議とスルスル上がれます。若さが伝染したか?
上がってみると10人前後の男女が、嬉しそうに並んでいました。そして、声を合わせてジャンプして、その瞬間の撮影に挑戦。どうやらスマホを持っている子が撮影しているようです。
「せ〜の。」
「どう?あ〜、だめだ〜。ちょっと貸して。私がやってあげる。」
「3・2・1 ジャンプ!」
「どう?あれ?なんで?」
そんなこんなで、5回以上挑戦。最後は諦めて、ワンピースのポーズで決めていました。
でもね、それだけチャレンジしてくれれば、大人はその瞬間を撮影可能。ラインで送ってあげました。
帰りながら、長男が満足そうに言いました。
「なんかさ、あおはる(青春)だよね。」
「そうだね。よかったね。」
「うん。」
長男と、青春を過ごしてくれて、本当にありがとう。