子育てにお金がかかるようじゃ いつまで経っても産めないね
長女のことについて書いた、上記のブログ。
「お母さんが楽しそうにしてるから 子育て楽しいって知ってるもん」
これを次女が読みました。
「次女はどう考える?」
そう聞くと、次女はこう言いました。
「子供が産める状況にならないと、子供を作っちゃいけないし、できても産んじゃいけないよ。」
確かに、今中学生の次女が、子供を産んでは大変です。
「なるほど。その通りだね。じゃあ、次女ちゃんはどんな風になっったら産んで良いと思う?」
「私、子育てって、お金がかかると思うよ。」
派遣社員が問題になり、低所得の男女が結婚や出産を諦めている世の中。
次女の産む子供を見てみたいと、母親の心が疼きます。
「お金がないと、子供って産めないだろうか?」
「そうでしょ。社会が変わればだけどさ。」
社会が変わらないと、子供産めないんでしょうか?
慌てて、ママは次女に聞きます。
「どう社会が変わればいいの?」
「それはさあ、高齢者ばっかりにお金使ってないで、子供にもお金を使って、お金の心配をしなくても、子育てできるようにならないと。」
児童手当は1人月1万円程度、国民年金は、1人月8万円程度で厚生年金はこれに加算。
確かに高齢者とは、大きな世代間の格差があるように見えます。
「なるほど。。。」
「だいたい、子育てにお金がかかるようじゃ、安心して育てられないでしょ。お金がないと産めないってことじゃない。そんなんじゃ、いつまで経っても、産めないよね。」
確かに、1人の子育てにかかる費用で、家が建つと言われる現代。どれだけ貯金があったら、安心して子供を育てられるのでしょう。共働きで必死で働いて、どれだけの収入が必要なのでしょう。確かに、いつまで経っても産めません。
すごいな。
若者の考えって、すごいなと思いました。
長女は楽しくないと子育てはできないと言います。
次女はその考えに加えて、当然子育ては楽しいし、そう思わない人は産むべきじゃないのは前提であり、お金の心配をしていては、いつまで経っても産めないと言います。
確かに、可愛い子供が、苦しい生活を強いられる姿は見たくない。
苦しい生活は、自分だけで十分です。
こんな世の中で、子供が減るのは、当然じゃないですか。
私の実家は本家なので、跡取りの私は、親戚が路頭に迷ったら受け入れるようにと言われて育ちました。限界集落に近い中山間地域の、広大な農地は、今では邪魔に感じるけど、有事には貴重な食料の源になります。そう言った受け皿が、崩壊しつつある限界集落を、社会がどう受け止めているのでしょうか。やはり邪魔なんでしょうか。
そんな本家を中心にして行われていた助け合いが、復活不能なほど崩壊し、都会に住む親戚とは付き合いが減りました。戦時中は、都会の親戚の子供を受け入れていた田舎。
絆って言葉が流行ったけれど、何も変わっていない日本社会。
世の中は、本気で変わらないといけないのだと、改めて思います。
福祉も、産業も、様々な角度で工夫を凝らして、子供も大人も、どんな人でも安心して暮らせる世の中に、社会を変化させていく。国民の全てが、現実をしっかり見つめて考え直していく必要があるんだと改めて思いました。
そんな変化の鍵、若い子供たちの感性に触れて、
日本社会に希望を感じるのです。